中越大震災から5年
震災直後からこの5年間走り続けてきた。道を振り返る間も無かった。毎日床に就くまで、被災地の人たちの幸せを願ってきた。未来に希望を持って生きることができるように、黒子になって支援していきたいと決意してから、あっという間の5年間だった。
あの時は悲しくてたまらなかった。今も鮮明に記憶に残っている。避難所に身を寄せていた人たちの茫然とした姿。魂が抜けてしまったようだった。小さな子供を抱えたお母さん、救急車で運ばれていったおばあさん、家が全壊で布団が無くて困ていた人。人の弱さ、強さ、優しさ。避難所の閉鎖が決まった時から、最後まで避難所に残っていた人たちや被害の大きかった人の今後の暮らしを心配していた。
お正月を壊れたわが家で迎えながら、毎日考えていた。このままでいいのだろうか。落ち込んだ人たちの気持ちを元気付けたい。どうしたらいいのかと、夜も眠れないほどに考えた。
当時、被災地の人たちの気持ちは荒んでいた。誰かのせいにしないと自分を保てないほどに。さまざまな好くない話を耳にしたときに、なぜなのだろうと思った。答えはすぐに出た。将来への不安な気持ちから出てきているのだ。
その不安を取り除き、安心して暮らすためには地域住民が求めるまちづくりに耳を傾け、集約し、行政に届ける役割の中間組織的なNPO法人が必要なのではないかと考えた震災の翌年の2月には活動を異体的に始めて今日に至っている。
被災して学んだ自助努力の大切さ。待つのをやめて、できる人ができる時にできることをして助け合う必要があるということ、それが安心して暮らすために必要な生活基盤づくりに繋がっていくと思っている。
震災以降、冬の各家々の除雪作業も前よりも近所で助け合いながらできているという話を耳にしている。それは震災体験から生まれた助け合いの精神だ。人の痛みを自分の痛みとして感じることができ、自然に行動が変わってきたのだと思う。震災から学んだことを、これからも長い時間経過の中で忘れてしまわないように、すてきな人と人のつながりを応援し続けていきたいと思っている。
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