シャンベルタンに乾杯
最近、朝夕と秋風が吹き始めた。昨年より幾分早いような気がする。そんな時、思う。地震の前は何をしていたんだろうと、私は、時々仕事帰りのいつものお店でその日の自分のご褒美にワインを飲むことにしていた。ワインは私にいろいろなこを教えてくれた。
人生のように一本のワインにはスト−リーがある、ワインを飲むマナーは別として、造り手、温度、グラスをきちんと選ぶことが大切だ。
お店のセラーで静かに眠りについているワイン。早い時間にお店に電話を入れる。その日によって店主は時には1〜2時間前にコルクを抜いてておいてくれる。「本日のワインはブルゴーニュ地方のワインでビンテージ、ドメーヌ・二」などと詳しく説明してくれる。私は、あまり早く飲まないようにといつも言われていた。しかし、初めはその意味がわからなかった。
ヨーロッパで長く生活せていた店主はいろいろなことを話してくれた。
暫くセラーで眠りについていたワインコルクを抜くと少しずつ眠りから覚める。グラスに注ぐと、濃いルビー色だ。
時間がたつにつれグラスの中でワインがダンスを始める。どんどん活発に踊りだす。ピークになるとワイングラスの中いっばいにフランボワーズの香りがする。
そして口いっぱいに深いタンニンの昧が広がる。
そんな生活もあの地震で一変した。家はズタズタに壊れ、私はボランティアの日々。一段落するとNPOを立ち上げた。
それから今日までの約5年間、毎日毎日活動し続けている。いつの間にか頭の中からワインという言葉が消えていた。
そのお店はお客さまがいつ、何を飲んだか控えてある。私は聞いた。「地震の前に最後に私が飲んだワインは何ですか。」そうすると店主はノートを見ながら1998年のアルマン・ルソーのシャンベルタンですと答えた。
そして最後に言った。「ワインはいつも一期一会。うちの店でおいしいワインと思っても他の店で出会うことはほとんどないでしょう。ボルドーは別として…」
確かにそうだ。ワインの昧もさることながら、本当に大切なのはそのワインを飲むためにいかに良い時間をつくれるか、そして過ごせるかなのだと。
またいつの日かシャンベルタンで乾杯したいものだ。
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